大野北中野球部(Oono KITA Baseball Club)

中学野球を教えきるために――

知恵と工夫で野球脳も鍛えよう

「バカヤロー! なんでそんなボール球振るんだよー」
 かつてベンチからよく聞かれた、こんな指導者の罵声もタブーとなり、最近では聞かれなくなってきましたが、このチームの場合は、いつもポジティブです。同じ三振でも
「残念! でも相手もいいボール投げたから仕方ないよ。次頑張ろう!」
 と目の前の結果に一喜一憂せず、選手の次へのやる気を引き出すための声がけが印象的です。指導者の言葉は選手の眠っている可能性を呼び起こし、成長に大きく影響するものなのでしょう。

  このチームとは、相模原市立大野北中野球部。中学野球の強豪、相模原地区において常に上位に顔を出し、全国大会出場など輝かしい実績を残してきました。長く顧問・監督を務めてきた武内信治(のぶはる)先生は、この大野北中OBでもありますが、近年は部員不足という事情から、新しく始めたクラブ活動と並行しながら野球部の復活・再生に取り組んでいます。現在は教員を退職し外部指導員として関わる武内先生を筆頭に、若い教員2名が顧問として、また多くの保護者が野球部を支えます。部員数はここ数年、各学年3~4人ほどでしたが、2025年度は1年生が一気に15人も入部してきて、若く活気のあるチームとなりました。

   武内先生の大野北中は過去、2012年の2月に取材したことがありました。その雑誌を選手たちに見せると、「僕たちの生まれた年です!」(1年生は13歳)と驚きの反応が返ってきました。歳月の流れを感じます。2012年当時は野球部も活動の制限がなく、練習・練習試合についやす時間もたっぷりと保証されていました。でも今は部活動のガイドラインのもと、与えられた時間と環境を上手に使って、選手たちの活動を保証しなければなりません。

1年から3年まで同じように指導できる体制を

  2025年夏の新チームへの切り替わり時を機に、大野北中野球部もクラブ活動を月に4回(おもに日曜日)おこなうことになりました。ガイドラインでは休日の部活動は土日いずれかの一日しかやれず、そのブランクを埋める形で「クラブ活動」と称しているのです。内容は基本的に部活動と変わらないのでしょうが、実情を武内先生に聞いてみました。

「これまで1チームで試合ができるだけの選手がいなかったんですが、今年は1年生がたくさん入ってくれたので、平日の3日と土日のどちらかだけではかわいそうと思って、日曜日をクラブの活動日にあてました。今は相陽クラブや相模TKSなどをはじめ、どのチームも上から下までの全学年を同じように指導しているけれど、むかしの部活動はそうじゃなかった。大野北も今年度、少しできましたが、来年度から、日曜日には3年生・2年生・1年生も同じように練習試合を組ませることを考えています。また、近くの鹿沼公園での平日練習や自校グラウンドでのナイター練習もやろうと思っています」

  大野北中野球部新チームは、2年(新3年)が4人と少なく、ほかはすべて1年(新2年)です。来年度も「この大野北中野球部でやりたい」という新入生が増えてくれれば、新1年生でも最初から同じように指導を受け、ほかのチームと練習試合ができるのです。これはたしかに、むかしながらの部活動ではなかったことでしょう。1年生は入学してすぐには中学野球のスピードについていけないこともあり、公式戦を経験するのも早くて新チームの秋から、上の学年が少ないケースなど稀なことでした。対して今は、1年生から実戦を積ませて選手のレベルアップを図るリーグ戦なども増えてきているので、新1年生の出場機会が増えることはまちがいありません。

短い期間で目に見えるほどの成長

    現在の大野北中野球部を、新チーム立ち上げの8月から継続的に見てきました。最初は文部科学大臣杯(春の全日本少年大会)相模原地区予選でした。体格に恵まれた大野台中を相手に、大野北中は小柄だけれどファイトあふれるピッチングを見せるエースが三振をとりまくり、コールド負けかと思われた最後のチャンスでは左の主軸バッターがセンターオーバーを放って意地を見せました。このとき、チームの勢いを感じました。

    次は11月の文化の日にサーティーフォー相模原球場でおこなわれた相模原市民選手権準々決勝でした。常に上位に顔を出している相原・相模丘中野球部を相手に終始主導権を握ったまま快勝! このとき、選手たちがあこがれの球場の前で撮った記念写真がこれです。

   そして12月に入ると神奈川県の強豪らと組む北相リーグに参戦。横浜市の強豪・鴨居中を相手に一歩も引かぬ熱戦を展開。0-1と敗れはしましたが、ミスがあってもそこから崩れることなく、選手同士のコミュニケーションもバツグンでした。新チーム立ち上げから4カ月たったこの時期になると、選手たちにも心身両面で成長がうかがえました。1年生たちはまだ成長期で体はきゃしゃ、顔もあどけないのですが、部活・クラブ含めて週5日の活動でカラダはたくましく、表情も少し大人の顔つきになってきたと思いました。

   その鴨居中戦は選手たちがベストゲームの一つに上げた試合でした。このときはベンチ横に入らせてもらって、ベンチからの声を聞いていたのですが、たとえば――
「いいねー、3つ続けてファウルだ。期待できるぞ!」
「ナイスキャッチー! あきらめないこと大事だよー」
「よし! 外野が捕ってくれるから、ピッチャー打たせていいよー」
「ナイスピッチング! ピッチャーにフォアボールはないから、野手はしっかり守っていこう」

   鴨居中戦では、ミスからピンチを迎えて1点は失いましたが、追加点を許せば厳しくなる場面では、全員がしっかり意志をひとつにして点は許しませんでした。
「よーし! ここを守れたら、勝ちが転がってくるよ」
   結果は逆転勝ちとはなりませんでしたが、試合後のミーティングでキャプテンが言っていたように「今日はコミュニケーションがよく取れていたし、ミスから崩れることもなかったから、今後もこれを続けていきましょう」と、大きな自信をつかんだようでした。

周囲から応援してもらえるチームを目指して

    大野北中に赴任して野球部顧問としても2年目の、北川廉(れん)先生(試合では監督)に話を聞いてみました。

「応援してもらえる、明るいチームを目指しています。ミスはしょうがない。ダメなのは一塁まで全力で走らないとか、ボールを最後まで追わないことですね」

   上記のベンチからの声かけは、おもに北川監督あるいは武内コーチが率先して放っているものですが、つられて選手たちからもポジティブな声が飛んでいました。それでも、全員が同じように声が出せるわけではありません。出そうと思っていても、なかなか出ないのは個人個人の性格によるもので、強制したからといって出来るものでもありません。

「僕ももともと厳しく言えるタイプではなく、そこは武内先生が言ってくださるので、僕は一歩引いたところから……。声が出せない子がダメだとは思いません。選手たちには『声出すの苦手な子は見たらわかるでしょ。だったら、オレが代わりに声出そうとか、なんで言ってあげないの? 仲間なんだからサポートしてあげよう』ということは話しています。浸透していければ、勝ちたいからと自然と出せるようになると思います」

    選手はみな同じ大野北中学校の生徒で、野球部ではチームの仲間、監督やコーチの先生も学校生活から選手たちの性格や行動をよく見てくれています。もう一人の山口主真(かずし)先生はサッカー出身で野球は未経験ながらも、サッカー特有のコーンとマーカーを使ったアジリティートレーニングで選手たちをリードしています。毎日接する大人が指導してくれるのは、学校に属する野球チームならではのメリット。部活動があるからこそ、選手は多感な中学時代に成長できるのだと思います。

教えるための時間が足りないなら工夫するしかない

   今は外部指導員の武内先生も、65歳で一線を退くまでは現場を指導し続けた“生涯一”教員でした。内出中時代、ハンカチ王子で名を馳せた斎藤佑樹投手(元北海道日本ハムファイターズ、群馬県出身)のチームと関東大会で対戦して勝ったという伝説も残っています。だれよりも野球への造詣が深く人間性もすばらしい。2012年に取材させてもらったときのテーマは「ランナーコーチ」でした。野球を知らなければランナーコーチはできない、ランナーコーチへの道が選手を育て、チーム力をアップさせる(大野北中の図書室に今もあるでしょうか)。

    そんな武内先生がいることも、このチームの大きな強みです。武内先生はいまの選手たちに何を教えていってくれるのでしょうか。
「まだまだ中学野球を教えきれていないですね。スピードへの慣れは試合を重ねることでできていますが、やりたいことは山積み。動きであるとか声の出し方であるとか、いちばん大事なピンチでの守り方であるとか、チャンスでの攻撃の仕方――。それは私たちが教える部分ですね。あとは選手が自分で伸びる部分もある」

    自分で伸びる部分――伸びしろということでしょうか。教えすぎてもいけない。自分から主体性をもって、自分の努力で伸びることを武内先生は期待しているのだと思います。
「今の時代、時間無制限で教えることはもう無理なので、やり方を変えなきゃいけないと思います。それには、やっぱり工夫したプレーをほめてあげないと。このプレーは良かったね! 今の走塁は良かったね! あの守り方は考えられていたね、と。そうすると、他の選手たちも『あ、オレもやらなきゃ!』と、そう思わせることが、今やろうとしている指導の一番目かなと思います」

中学野球を教えきるためにはイズムが必須

   もうひとつ、武内先生の話で印象的だったのは、ランナーコーチを教え込むにはまだ早いけれど、「最近ようやく全員がスコアブックが書けるようになった」という話でした。
「専属のスコアラーを作りたいわけじゃないですよ。あくまで選手として。練習試合の1試合目に投げたエースは、2試合目ではボールボーイや、スコアラーをやらせるとか」

    この話を聞いて、東京の石泉クラブを取材したときのことを思い出しました。エース・溝大駕(みぞたいが)が2試合目の練習試合で審判をやったり、スコアラーをやっていたことを。その経験も彼を人間的に成長させて、夏にはたのもしい不動のエースになっていたのです。

    2025年の練習納めの日は、OBたちが来てくれて現役中学生と練習試合をやりました。武内先生が最後に教えた世代でしたが、「少し“イズム”が抜けた世代ですね」ということでした。その“イズム”とは「武内イズム」なのか「大野北イズム」なのか。いずれにせよ、戦術を教え込むにはイズムがないといけないのだと言いました。今後、もしそうした“イズム”を教えられる大野北中卒業生が、母校の指導者(教員でなくても、クラブなら社会人でも可能)となって帰ってきてくれることになったら、そのときこそ、Oono KITA Baseball Clubの時代の夜明けになるかもしれません。

「球児くん」をよろしくお願いします